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「子育て観」の違いー適応の障害となるもの

1 はじめに

 私は中国出身の小学校4年生を教えている。両親とも中国人で、この子は小学校4年生の1学期に来日して、自宅近くの公立小学校に通っている。

 来日当時日本語が全くできなかったので、私が日本語を教え、現在は小学校の教科を教えている。

 この子の知的な発達程度、認知・認識力等に全く問題はないが、日本の学校に適応するのに苦労している。苦労の原因は、「子どもをどのように育てるべきか」という「子育て観」が、日本と中国で異なるからである。「子育て観」の違いが、どうして日本の学校に適応するのに障害となるのか。これを以下に述べていく。


2 日本の「子育て観」

 ご存知のとおり、日本では小さいうちから「自分のことは自分でやる」ように育てる。写真1のように、子ども用に工夫された箸を使って、2歳、3歳の頃から箸の使い方を練習する。また、写真2のように、子どもが使っても危険がないように工夫されたハサミを使って、ハサミの使い方を練習する。

 このように、大人が指導・支援して「子どもが自分でできることを増やしてやる」というのが、日本の一般的な「子育て観」ではないだろうか。


     










       写真1

                               写真2  


 従って、小学校入学後も、「自分でできることは自分でやる」「学年が進むにつれて、自分でできることを増やしていく」という考え方で指導される。翌日の授業の時間割に合わせて教科書や道具を用意したり、鉛筆を削ったりすることを「自分でやる」ことを求められる。家庭によっては、家庭科の調理実習の準備も兼ねて、料理の手伝いをさせながら、包丁の使い方を教える。

 このような日本の状況に対して、中国出身の人が来日して驚くことのひとつに、小学生が自分で荷物を持って(ランドセルを背負って)通学することだそうである。中国では、通学には大人が荷物を持って付き添うそうだ。


3 中国の「子育て観」

 私が教えている中国出身の小学校4年生の子どもを教え始めた頃は、指導を開始する時に、机の上に何も用意していなかった。私が、「筆記用具と教科書を出しなさい」と言うと、初めてランドセルの中から出してくるような状態だった。

 これに違和感を覚えたので、別の中国出身の人に聞いたところ、中国では、子どもが勉強する時には、親や祖父母などが、机の上に教材や筆記用具を揃えてやるのが一般的だと教えられた。

 中国は「一人っ子政策」の影響で子どもの数が少ない。両親はそれぞれ仕事をもっているので、祖父母4人で孫ひとりの世話をするのが一般的だそうである。祖父母は日本のように老後を楽しむという考えがなく、孫が学校へ行くときの送り迎えや食事の世話、勉強の手伝いなどに明け暮れているそうである。

 特に子どもに食事させるためには、写真3のように、大人が食べ物を子どもの口まで運んでやる。さらには、写真4のように、子どもが遊んでいるのを祖父母が追いかけながらでも食べさせるそうである。







     写真3

                              

                                 写真4

 子どもがこのように育てられると、どうなるか。ある中国出身の人の話では、次のようになるそうだ。

・他の人に面倒を見られることに慣れていて、自分では何もしようとしなくなる。

・大人は自分のためには、何でもしてくれると思うようになる。他の人に感謝する気持ちが育たない。

・自分で人生を切り開く、人生の計画を立てるという気持ちが育たない。


4 日本の学校に必要なこと

 このような「子育て観」に基づいて育てられた子どもを、日本の学校が受け入れる際に、必要なことは何だろうか。

 まず必要なことは、双方が「子育て観」の違いを理解することだろう。

 子どもと親の両方に、「日本の親や学校は、子どもには自分で自分のことができるようになることを求める。年齢や学年が進むに従って、求める内容が多く、程度が高くなる」ことを理解してもらうことだろう。

 特に、このような違いを親に理解してもらうことは最も大切ではないか。子どもに対する適応指導には、親の協力が不可欠だというだけでなく、学校の指導が誤解されないためでもある。なぜなら、「自分のことは自分でやりなさい」という指導が、「学校は親の助力をシャットアウトして、子どもをいじめている」などと誤解される可能性もあるのではないか。

 日本の小学校では、写真5のように、給食の配膳を自分たちで行う。これだけでも、写真3、4が表すような子育て観から見れば、かなりギャップが大きいだろう。

                  写真5


 次に必要なことは、受け入れる学校の「忍耐」だろう。前述のように、中国の「子育て観」で育てられた結果、子どもに植え付けられた「大人は自分のために何でもしてくれる」という意識は、簡単に変えられないだろう。在日期間がある程度に達して、相応の年齢になれば、「日本の子どもは、このように育てられるのだな」と頭では理解できるだろうが、「大人は自分のために何かをするのは当たり前」という意識はなかなか変えられないだろう。

 従って、日本の学校は長期的な視点で忍耐強く指導する必要が出てくる。また、子どもに対する評価を急がないことも大切ではないか。日本の同年齢の子どもと比べて自立した生活ができないので、「知的な発達」が遅れていると簡単に結論づけるべきではないと考える。「自分からやろうとしない」「いくら言っても指示が理解できない」などの理由から、簡単に知的な発達を疑うべきではないと考える。「なぜ『自分で』やらなければならないのか」を理解していないのかも知れないので。

 知的な発達程度を測りたかったら、言語を介さなくても問題の意味が比較的理解しやすい算数や数学の問題を解かせればよい。小学生ならば、分数や少数の問題、見取り図や展開図の問題に取り組ませると、「数の概念」や「空間認識力」をある程度測ることができるだろう。

 中学生ならば、「正負の計算」を解かせれば、知的な発達程度をかなり測定できる。「正負の計算」は、千葉県では公立高校の入試問題の大問題1番に毎年出題されるので、数学の基礎的な能力を測るのに適切な問題なのであろう。


 以上のように、日本の学校に適応し、日本で必要な学力を培うためには、幼児期からの育て方を考えて対応する必要があると私は考える。


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