top of page
検索
ytnzw19501106

「それでも教員ですか?」―外国出身の子どもを診断・評価する方法

 前回の記事で、ある外国出身の子どもが千葉市の小学校に編入してきた時に、最初に何の診断も評価も行われなかったので、中学2年になるまで放っておかれたということを書いた。

 今回は、千葉市とは異なる取り組みをしている京都市の例を紹介するとともに、どこの学校でも可能な取り組みについて述べる。


1 京都市の取り組み

  京都市の取り組みについては、2017年9月に日本語教育学会の関西支部集会で、京都市  

 教育委員会の指導主事が発表していた内容を紹介する。

  下の写真のように、「日本語指導トータルサポートシステム」と名付けられ、指導主事 

 の下にコーディネーターが配置されている。そして、外国出身の子どもが入ってくると、

 指導主事とコーディネーターが診断と評価を行い、その子どもの長期的な指導計画を立て

 る。その計画を基に、コーディネーターが学校、ネイティブ指導員、ボランティアなどと

 の調整を行って、指導していくものだと聞いた。

  コーディネーターは、学校の事情を理解している現場の教員を市教委に入れて、連絡・  

 調整の任にあたらせているそうである。

  外国出身の子どもがいきなり学校に放り込まれて、学校もボランティア指導員やネイテ

 ィブ指導員に任せきりで、適応指導なども行われずに、放っておかれるような自治体とは

 随分な違いである。



2 どこの学校でも可能な取り組み

  どこの学校でも可能な取り組みとは、「教員が」次の観点から、子どもの「知的基盤」

 の発達程度を診断・評価することである。

 (1) 「視点の変換」ができるか。

   日本の小学校では、第3学年で、地域を調査して「絵地図」を作成することになって

  いる。学習指導要領では社会科の第3学年の「目標」として、「調査活動,地図帳や各

  種の具体的資料を通して,必要な情報を調べまとめる技能を身につける」とある。

   また、「内容の取扱い」の中で、「『地図帳』を参照し,方位や主な地図記号につい 

  て扱うこと。」とされている。

   つまり、小学校3年生で、見たものを地図で表したり、地図を見て実際の地理を頭の

  中で描いたりすることができるようになることが求められている。これは、「二次元 

  ⇔ 三次元」「平面的 ⇔ 立体的」の「視点の変換」ができることである。

   学校の教室から見える風景を、絵地図に描かせたり、学校周辺を描いた絵地図を見せ

  て、自分の通学経路を示させたりすれば、この「視点の変換」ができるかどうかを診断

  することができる。

   小学校高学年になってもこれができない子どもは、要注意であろう。前回の記事で書

  いた生徒は、中学3年になっても地図を読んだり、描いたりすることは全くできなかっ

  た。周辺の地図を示して、どこを通って通級してくるのかたずねても、全く答えられな 

  かった。

 (2) 「単位の変換」ができるか。

   学習指導要領に示されているとおり、日本の小学校では、「算数」の教科で、第1学

  年で「数の表し方」と「加法、減法」を学習し、第2学年で「長さおよび重さの単位」

  や「2分の1,3分の1などの簡単な分数」などを学習する。そして、第3学年になると

  「小数」の学習が始まる。

   これらの内容は、「メートルで表された数をキロメートルの単位に変える」など「単

  位の変換」を学習することである。高校入試や大学入試で出題される地図や地形図を読

  み取ったり、グラフで表された内容を正しい文章にまとめたりする問題を解くには、小

  学校段階で「単位の変換」ができるようになっていなければならない。

   このように、小学校低学年の算数の問題は、外国出身の子どもを指導するには必須の

  診断内容だが、日本語が分からなくても概ね解答できるはずである。小学校2学年や3

  学年で学習する「単位の変換」や「数の概念」の問題をやらせてみれば、「知的な基

  盤」の発達程度はすぐに分かるはずだ。

 

 外国出身の子どもが、小中学校に編入してきたら、担任をはじめとする「教員」が、自分の担当教科にかかわらず、これくらいの診断と評価は是非行って欲しい。そして、子どもの知的な発達程度によっては、ネイティブ指導員に母語で「数の概念」を形成する指導を依頼したり、場合によっては特別支援教育の専門家の診断を仰いだりして欲しい。

 前回の記事に書いたように、この段階での知的発達を促す機会を与えないことは、その子どもの将来をつぶすことにもなりかねない。従って、最初にこの程度の診断や評価を行うことは、学校や「教員」の責任である。最初からネイティブ指導員等に丸投げするのは、「教育の専門職」としての責任放棄ではないか。

 私は、千葉市日本語指導通級教室での経験を基に、次のことを強く言いたい。「知的な基盤」が形成されないまま、学年が進んでから日本語を教えても、基礎工事をしないで、家を建てるようなものだ。高校入試が迫ってきてから、あわてて日本語を教えても遅いと私は強く主張するものである。

閲覧数:26回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「日本語ができるようになれば、学力は『自然に』身につく」わけではない。

日本語教育についてあまり知らない人たちや、一部の日本語ボランティアの人の中には、日常生活の日本語ができるようになれば、あとは「自然に」学力が身につくと考えている人がいる。 これはとんでもない間違いである。なぜなら、義務教育段階で学習する教科・科目、学習内容は国・地域によって...

Comments


bottom of page